設立趣意書
近年のわが国の工業技術の発展は目ざましく,とくに多くの先端技術の分野において他国の追随を許さぬものがあります.小型コンピュータを始めとする各種情報処理機器は,社会の,そして産業の隅々にまで行きわたって,高度の知的作業を人間に代って受け持つようになってきています.また,スーパーコンピュータの発展と普及とも相俟って,設計,開発,製造の各過程における大規模なシステムの数理的取扱いの重要性が著しく増大してまいりました.しかし,残念ながら,わが国ではそれらの根底をなすソフトウェアを欧米に大きく依存しているのが現状であります.このようなソフトウェアをわが国独自で開発し発展させる力をつけることが急務であることはいうまでもありません.そして,ソフトウェア技術の基礎となる最も重要なものは,道具としての数学であり,またそれを使いこなす数理的技術でありましょう.
科学技術計算や数理計画における数理の重要性は言うまでもありません.さらに,先端技術では,技術の壁を打ち破るために,つねに新しい発想とそれを実現させるための「何か」が要求されています.そして,その「何か」として,最近,数学に,とくにこれまでの数学の枠組みを越えた新しい数理的発想に,大きな期待が寄せられています.
さらに,異なる分野で独自に考案され採用されている方法が,実はいろいろな分野に共通する要素を潜在的に含んでいる場合もきわめて多いに違いありません.もしも,このような方法を発掘して相互に交換し活用することができるならば,技術全体に寄与するところが絶大であります.その際,異なる分野間であればあるほど,数学あるいは数理が,技術交換を行うためのほとんど唯一の共通言語となります.
技術面における問題解決の一般のプロセスにおきましても,始めから個々の問題を個別に解決するよりも,まずは抽象的に,すなわち数理的に考察を行って一般的方法ないし手順を確立し,しかる後,個別の問題にその結果を適用する方が,はるかに効率的であります.その意味で,数理的な方法は,技術全般における方法論としてその重要性がますます高まってきています.
以上述べましたように,産業界において数理的思考,数理的方法がはたすきわめて大きな役割が次第に認識されるようになってまいりました.一方,わが国の数学界はこれまで数学の純粋性を尊重することを伝統としてきましたが,最近は数学の応用面の重要性にも眼を向けるべきであると考える数学者も急速に増えつつあります.技術者と交流することにより,数学者も数学の有用なそして興味ある研究テーマを発見する機会をもつことができます.
よく知られていますように,欧米各国では既に工業数学と応用数学(industrial and applied mathematics)のための学会が活発に活動を続けております.実際,1987年7月に,アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ4ヵ国の工業数学・応用数学の団体SIAM(Society for Industrial and Applied Mathematics), IMA(Institute of Mathematics and its Applications), SMAI(Societe de Mathematiques Appliquees et Indestrielles), GAMM(Gesellschaft fur Angewandte Mathematik und Mechanik)の共催で,パリ郊外の研究学術都市において “第1回工業数学・応用数学国際会議” が開催され,49ヵ国から約1800名の研究者・技術者が参加いたしました.そして,広く応用数学あるいは数理工学が関係する分野,すなわち,応用解析,科学計算,制御と信号処理,離散数学,応用確率論と統計,物理学・化学・生物学における数学,ソフトウェアとハードウェアにおける数理,OR, 管理工学などを中心として,研究発表や討論が行われ,多大の成果を上げました.しかし,先進工業国であるはずのわが国からは14名が個人ベースで参加したのみでした.
以上のような背景のもとに,私どもはわが国にも応用数学あるいは数理工学のための学会を設立する必要性を痛感し,その設立準備を進めてまいりました.これまで,本学会設立のために数回にわたりシンポジウムあるいはパネル討論会を行いましたが,その度毎に大学・研究機関および企業双方から本学会設立の要望の声が強く聞かれ,また,その際のアンケート調査からも本学会設立に対する大きな期待が窺われます.
このような機運の高まりを受け,私どもはこのたび日本応用数理学会(Japan Society for Industrial and Applied Mathematics, 略称 Japan SIAM)を設立し,活動を開始することにいたしました.
本学会には,シンポジウム・研究会・講習会の開催,会誌・論文誌の刊行など学会としての標準的な活動を行う他に,常設あるいは特設の研究部会を設けて特に重要な問題について集中的に研究を行い解決にあたる,他学会における問題に対して数理的側面から解決の支援を行う,数学の新しい成果の普及も含めて広い意味での応用数学の教育活動に貢献する,応用志向の数学者を養成する体制の確立を図る,等々多くの仕事が期待されます.
以上述べましたように,現代の研究者・技術者にとって数理的思考,数理的方法が不可欠であることは事実が証明しています.日本応用数理学会は数理的な考え方,技術を駆使しておられる研究者・技術者,またそのような思考,方法そのものの研究や教育に携わっておられる方々の学術的交流の場です.
日本応用数理学会は,既存の全ての学問・技術の分野に横断的にまたがる,いわゆる「横型」の学会であることに大きな特徴があります.縦型の学会に所属して活躍しておられる方々も,ぜひ第2の学会として日本応用数理学会に参加し,数理を通じての異分野間交流によってわが国の学術の発展に貢献してくださることを期待します.ご自身の専門がすでに数理的な横型の学問,横型の技術に属する方々にとっては,日本応用数理学会こそが第1の学会です.本学会に積極的に参加されることによって,直接数理を通じてわが国の学術の発展に大きく寄与されることを期待します.
以上.
1990年4月発行 応用数理創刊準備第一号 より転載.